「資格」は失格者のはじまりにも・・・
岩手県北上からはじまった12日間連続の講演
今日で9日目です
決してこなしても、流してもいません
毎日いただいたご縁と感謝の中でありがたく楽しく
命の授業をつづけさせてもらっています
県外への泊を伴う出張の時は
必ず朝6時に息子がおはようコールをくれます
(私は5時前には起きていますよ)
これはこの仕事をはじめた4年半前から
息子の生活習慣も考えずっとです
やはり朝、彼の声を聴くと
「今日もお互い楽しんで頑張ろうね」と元気になります
私の長期ロードを知っている友人たちから
元気か?メールや無理するな連絡をもらうたびに
幸せを感じています
今朝も広島の身体のメンテナンスをお願いしている村田先生から
元気ですか?コールをいただきました
「声を聴いて安心しました」の村田先生の声を聴いただけで
たくさんの元気をもらいました
(私は元気なんですよ)
そして村田先生からこんな言葉を聞きました
先日、フィンランドのドクターが村田先生のところに
勉強に来たときこんなことを言われたそうです
医療に限らず、日本は「資格」をとった、持ったところで
安心という傾向が強くその後、現場で勉強をして
さらに成長をしようとする情熱を感じる人が少ないと
資格がある意味、失格者をつくっていると
私も教員になったとき教育長さんからいわれた言葉があります
「君たちは神奈川県の教員採用試験に合格して
神奈川県から「信用」され教員の資格を持っただけです
これからは現場で出会う生徒さんたち、保護者、そして先生方仲間と
「信頼」を築くため勉強を続けてください」と
そこには知識と実践は違うよ、資格は使ってなんぼ、磨いてなんぼ
という意味が込められていた気がします
知識では人は動かず、心は動かず
資格に限らず、肩書きなどなくても
日々勉強し成長している人はいくらでもいます
逆に資格、肩書きの責任を生きている人もいっぱいいます
仕事は自分の生き様そのもの
頭に浮かんだ言葉です
朝から自分の足下を見つめるイイ時間をいただきました
村田先生、近いうちに伺います!!
今日はこれから愛知刈谷市の中学校に伺います
刈谷市は今回で3校目です
ご縁を感じる場所です
出会いに感謝をこめて
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