特性とレッテル
「命の授業」の腰塚勇人です
今日、同僚の先生と生徒の話をする中で印象に残ったことがある
それは個人的な見解ではあるが、
養護学校特有の見方かもしれないが、よく生徒一人ひとりの
「障害特性」という言葉をよく使う
その障害特性を認識することで生徒の生活であったり
学習面に有効的なサポートができ、生徒自身の成長を促すことができる
確かに私自身も自分の身体の障害に焦点を当て
少しでも機能的回復に向けアプローチをすることは生きていく上で
とても重要なことだと感じている
しかし同僚と話をする中で共通の認識であった一つに
「障害が先か」「人格が先か」というところであった
私のことで言うのであれば、腰塚に障害があるのか
それとも障害者の腰塚なのか
この視点は大学院で学んでいるときから私にとってものすごく
大きなテーマの一つであった
どっちが先かで、その人への思考や感情は
全く変わってくる気がしている
違う例えをするのであれば
「○○ちゃんが悪さをしたのか」「悪さをした○○ちゃんなのか」
これによっても、いつの間にか悪いことを叱っているつもりが
「だからお前はこうなんだ!!」人格を否定していることになっていたり・・・
私も障害者である前に一人の人間である
障害がいいか悪いかは別にして、一つの特性でしかない
この視点はいつどんな時も持ち続けていたいテーマである
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