恩おくり 9 ~こんな人がいるのか? 2~
「命の授業」の腰塚勇人です
私が首の骨を折り(頸椎不全損傷)
首から下が動かない状態の中
見舞いに来てくれた教頭先生と学年主任の先生を前に
「現場に戻って中学3年生の担任がしたい」と言えた私
その言葉を、その気持ちを最後まで聴いてくれた二人
常識で考えたって首から下が動かない状態の人間が
言う言葉ではない
頭おかしくなった?
やけになってる?と思われても仕方ない・・・
今思うと、とんでもないほどの爆弾発言だった気がする
でもそれが言えた
なぜ?
根拠も理由もわからない
でも一つだけ確かだったことは
生徒と先生方と一緒にいた自分がイメージできたこと
ただそれだけ
3月最後の週
学年主任が再び病院に来てくれた
とんでもないものを持って
A4の紙を一枚私にくれた
「腰ちゃんへのプレゼント!!」と言って
何かの手紙?
それしか私の想像力ははたらかなかった
真っ白な紙をようやく動き始めた左手でひっくり返す
そこに書いてあった一番最初の文字にびっくりした
見開いた目で一点を見つめ、口が開いたままの状態で固まった
そこに書いてあった文字・・・
「3年1組 腰塚級・・・」
予期せぬ出来事に
予期せぬサプライズに
予期せぬプレゼントに
しばらく口が空いたままふさがらなかった
黙って子どもたちの名前を目で一人ひとりおっていた
39人最後まで見終えた瞬間、涙がこぼれ自分では拭けず
クラス名簿の上に落ちていった
あの時の喜びは今でも忘れない
先生に目をやった
と同時に言った言葉は「ありがとう」ではなく
「先生、俺いつ戻れるか分からないよ・・・」であった
感謝の気持ちでいっぱいなのに、嬉しくてたまらないのに・・・
私がクラスの名簿をもらって最初に受け止めたものは
先生からの信頼感だった
こんな状態の私に・・・
こんな状態の私にでも・・・
信頼というより「愛」だった気がする
だからそれに応えたい気持ちと
それに本当に応えられる?という不安から出た
「いつ戻れるか分からないよ・・・」であった
そうしたら先生は
「もどって来るでしょ」
「それまで私が担任やってるから」
「あわてないでね・・・」
笑いながら軽く言う先生
中学3年生の学年主任をしながら、授業をしてクラスの担任・・・
ありえない・・・
そして最後に
「どうしても厳しかったら卒業式に
クラスの子の名前だけは呼びに来なさい!!」
最後の言葉が命令口調で「来なさい!!」
その時感じた
この人、腹をくくっていると・・・
私にとって夢が目標にシフトした瞬間であった
必ず戻ると・・・
私のクラスの子どもたちのところへ
そしてこの先生のいるところへ・・・
つづく
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