25年ぶり ~姫路からお寿司を食べに鎌倉へ~
昨日は徳島鳴門で長くお付き合いをさせてもらっている
校長先生の最後の中学校卒業式に参加をさせてもらった後
神奈川に戻り鎌倉でこれまた4年前に知り合った
姫路の校長先生と待ち合わせ
鎌倉は大学卒業後、1年だけ中学校で講師をして
その時、授業で教えた生徒がケガをして
一度送っていったことがあり、そのお家がお寿司屋さんでした
2年半前、校長先生と講演後、話しをしていると
「実は私、大学は横浜で卒業後、鎌倉の私立の学校に
8年ほど務めていたんです
その時、クラスと部活の教え子にお寿司屋さんの子がいてね
先輩に良く由比ヶ浜の近くにあるお店に連れて行ってもらっていて
鎌倉は若かりしころの私の思い出いっぱいの場所なんです」と
???
「先生、お寿司屋さんの名前、もしかして
小花寿司さんではないですか?
それと教え子さんの名字、○○さんでは?」
「えっ?!、そうだけど・・・」
お互いに目が点になりました
校長先生はお兄さんを教え、私は妹さんと教えていました
この話を「姫路」でしていたんですよ
「懐かしいなぁ~、行きたいなぁ~」
「いつ、行きます?」
それが昨日でした
校長先生、25年ぶりに教え子の握ったお寿司を食べるためだけに
本当に姫路から来てくれました
お父さん、お母さんと一緒にお店をやっている教え子さんも
40半ばに
昔話に花が咲き教え子さんが握るお寿司を食べながら
「懐かしい、嬉しい」を連発していた校長先生
その気持ちはよく分かりました
またその教え子さんの粋なところは
サブライズでその時の部活の仲間を呼んでいたんです
皆さん校長先生とは年賀状のやり取りはありながらも
やはり会うのは25年ぶり
そして最初の質問は必ず
「先生、何の用事で今回、神奈川に来られたんですか?」
すると校長先生「ただお寿司を食べに来ただけ」
その答えに皆さん絶句
でも、そんな校長なんです
それはおそらく25年前から変わっていない生き方で
そうでなければ25年前の教え子さんが
集まってくるはずがありません
私が会いたかった妹さんは
福島の果樹園に嫁がれ、その後、震災の放射能の影響で
お子さんが小さいため今、札幌市内で
「たべるとくらしの研究所」というカフェをやっているとのこと
またその震災の体験のことが
「まよいながら、ゆれながら」という本になっていると
お母さんが手渡してくれました
札幌へ行く、楽しみが増えました!!
その時の今を、一生懸命に生き、縁を大事にする
そしてまた自ら動くと新しい出会いや嬉しい再会があり
ありますます人生が豊かになっていくのを実感します
そして学校の先生の喜びの一つが
教え子の成長した姿に出会えることであり
そして今の自分を振り返えられること
昨日も徳島で卒業式に参加でき、
神奈川で行きたかったお寿司屋さんに行け
豊かで幸せな時間でした
今日も校長先生と楽しい時間を過ごします
感謝をこめて
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