私の色 私の匂い
「命の授業」の腰塚勇人です
先日、講演で伺った学校の校長先生から
とっても共感したお話を聴けました
と同時に私自身の「今は?」と考えている自分がいました
その話とは、私も教員初任の時に言われたことでしたが
それぞれの学級には中に入ると担任の色や匂いがすると
それは教室環境であったり、生徒たちからであったり
「あなたらしい、あなただから出せる色や匂いを出しなさい」と
それは色や匂いという言葉を借りて
自分が大切に思う生活環境の状態であったり
そこに生活する私を含めた子どもたちとの
心の在り方、接し方であったり
ある意味、教師の子どもたち、クラスへの想いでした
なりたいクラス、ありたいクラス
年度当初それを考えるだけでワクワクするんです
しかし、自分が思う色に子どもたちが染まりはじめてくれたり
納得し匂いを受け入れてくれるためには
信念や自分の教師感に基づく想像力や企画力
そして継続する力や忍耐力と謝れ修正できる力が
必要だった気がします
良い意味でこの先生は
この先生のクラスは
この先生だったら
そんな自分の色や匂いが受け入れられ、理解されはじめると
クラスや保護者との信頼関係は加速度的に良くなり
同じ方向にエネルギーをもって生活ができた気がします
でも、ふとある時気がついたことがあります
それは自然の花をみていて、そして花の匂いをかいて
自然界の花や植物の色も匂いも大多数が
自分の色と匂いを持ちながら
他のものを邪魔せず、調和の中で生きていました
そこには必要最低限の大自然のルールがありながら
教師って花を包むラップやポットに似ているかって
そんなことを感じたら
自分の色、自分の匂いを知りながらも
周りと自分が共に活きる調和を考えたり
ラップやポットに自分がなるときは
自分の色や匂いを大切にしながら最低限のルールを保ちながら
無色透明、無臭になることも
安心という自分の色と匂いを
周りに出していることでは?と感じました
みんなが自分の色と匂いを大切に生きる主役
だからこそ、その色と匂いの持ち味を自分も周りも知り
その自分らしさを大切にして
調和の中で生きていく事に気づきました
私はどんな色と匂いを持ち、出しているのだろう
出したいのだろう
そして自分の色はくすみかけていたり
匂いはキツすぎたりして、周りの花の持ち味を殺してはいないか
ひまわりのようにドーンと大きく咲く花であってもいい
かすみ草のような花であってもいい
それを蒔くラップであってもいい
今自分が生きる環境で、自分の色と匂いは生きているのだろうか
そして周りの人の色と匂いを活かすことはできているのであろうか
講演後、頂いた花束と校長先生のお話しから
受け取ったメッセージでした
今、私はどんな色になりたいのだろう
どんな匂いを出したいのだろう
そして私の大切な人たちは
どんな色と匂いの花なんだろう
そしてその人たちとどんな花束になりたいのだろう
今日から12月ですね
感謝をこめて
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