親父が、手すりにつかまり自分で歩く
「命の授業」の腰塚勇人です
先日福祉の専門学校で講義をするために
その講義の内容の組み立てに
当たり前といえば当たり前でですが
結構、時間を割きました
学生さんに何を伝えたいか・・・
その時、自分の体験以上に
脳梗塞になった親父を家族として支えた時の
医療や介護スタッフの皆さんへの
ありがとうと・・・の部分の両方で
強く頭に残っていたことを中心に講義をさせて頂きました
私も親父もリハビリは「まずは」から始まりました
「まずはベットを起こせるようになりましょう」
「まずは身体が固まらないようにしましょう」
「まずは声が出るようになりましょう」
「まずは自分で食事ができるようになりましょう」
「まずは」は「最初は」「当面は」という意味で使っているはずでした
一つずつ、少しずつできることが増え
その度に家族みんなで喜びました
しかしいつか、まずはが →
「もうこの辺りが・・・」「これ以上は・・・」
それは医療や介護の専門家として知識や経験から
病気の発症からの回復は時間との勝負であり
時間が経てば経つほどその回復は厳しいものという
臨床的にも立証されている中での助言には
感謝はしつつも、そうですか・・・と
内心はまだ半年なのに・・・ まだ1年なのに・・・
実際に私もケガも親父の脳梗塞の病気も
入院してリハビリができる期間が法律で決まっていました
もう少し良くなると思うのに・・・そんな気持ちでいっぱいでした
しかし、その退院に合わせて受け入れる環境を整えはじめると
本人の今の現状を基準で物事が進み
いつしかこの状態の中で安定して、安心して
生活できることに力を注ぎ
あれだけ重要視していた本人の回復が置き去りになっていました
本人のためをと思って整えた環境整備が
いつしか家族のための生活の安心・安定に・・・
当然それも大切なことであると分かりながら
このままでは親父は色々な意味で車いすの生活に慣れ
一生自力で歩けなくなる・・・と強く感じました
そこには、ここまでしてもらっている・・・
本当は歩きたいけどワガママを言ってはいけないという
親父の家族への気持ちもありました
親父自身が一番葛藤していました
ケアする立場の人とケアされる立場の人のそれぞれの見識、都合で
そこには温度差が生まれはじめていました
それはどこかで「してあげている」「してもらっている」
という関係になり始めていた時かも知れません
親父の正直な今、思っていることを聞きました
そうしたら「自分で歩きたい」と
その最大限の応援者でいる改めて決めてから
昨日、初めて手すりにつかまり親父が自力で
5Mを歩きました
こんな言葉を聞いたことがあります
「奇跡ということを起こした人の周りには
奇跡ではなく当たり前のようにその人を信じ続けた人がいたから」
「自信が出てきた」
「やればできるよな」
「歩けるようになるよな」の親父の言葉
なれるよ なるよ
まだまだこれから
心から思っていることです
今日はこれから千葉です
感謝をこめて
「
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