「命の授業」の腰塚勇人です
先日、広島から心友が来てくれ
お互いにこれからの夢について語ることができました
この歳になって夢を語れる友がいることは
本当に幸せだと思います
その中で幸せなことに
「命の授業」の講演会を学校や一般の方、会社より
依頼をたくさんいただくようになり嬉しいと思うと同時に
「少し怖さを感じている・・・」という内容の話をしたときのことです
すると心友は
例えでこんな話をしてくれました
子どもの頃は大人がお菓子を両手いっぱいに差し出してくれ
「坊やにあげる」と言ってくれたら
皆さんならどうしますか?
うちの息子は迷うことなく全部もらってポケットに入れます
たぶんほとんどの子がそうするのではないでしょうか
いいか悪いかは別にして
もし全部をとらない子はたぶんこういう言葉を口にするはずです
皆さんはどんな言葉だと思います?
「いつく取っていいの?」
すると大人は「好きなだけ、どうぞ!」って
このようは内容のことを話してくれました
皆さんはどんなことを感じるでしょうか?
そして、彼の言いたかったことってなんだったと思いますか?
彼が私に言いたかったことは
「全てをありがたく素直に受け取りなさい」でした
それは「応援され、信頼してくれている」証拠だと彼は言いました
確かに受け取らない理由を考えると
「裏には何か・・・」
「本当にいいのかな~・・・」
恐れや不安を抱く気持ちが一番にあったり
謙虚さがない、ずうずうしい・・・などと思い
素直に喜べない、受け取れない自分がいました
これも成育歴における自己防衛や常識という観念の
学習効果なのかもしれないと思いつつ
そういう自動的な思考回路によって
自分の可能性に枠をはめどんどん小さくし
手に入れるものに制限をしている気がしました
そのうち「俺はこのぐらいがちょうどいい」とか
「俺にはそんなの手に入れるのは無理」と言いだすように・・・
自分の息子には「全部もらっていいんだよ」って思っているくせに・・・
夢は何でもOKだと伝えているくせに
また、心友はこうも言ってくれました
首の骨が折れ、首から下が全く動かないのに
「担任やらしてくれ!!」って言ったんでしょ
スキーで転んで首の骨を折ったのに、
次のシーズンにはスキーへ行って、今もやってるんでしょ
普通の人なら言わないし、やらないよ・・・
恐怖と不安から限界や言いわけで自分の枠を決めちゃうから・・・
ようは「私らしくない」と彼は言いたかったようです
単純で「素直」な私はものすご~く褒められた気分になり
お菓子を全部受け取ることにしました
応援されている
信じてもらっている
必要とされている
素直にありがたく受け取る
自分を幸せにする大切な考え方だと感じました
こんな心友がいいてくれて本当に私は幸せです
これから先の人生にワクワクしてきました
