常に民と共に ~田中正造さんに再び~
昨日は栃木県佐野市教育事務所様主催で
市内の中学校の2校の生徒さんと先生方、そして地域の方々に
話しをさせていただきました
実は一週間前に佐野市内の小中学校の
校長先生、教頭先生の研修で伺ったばかりでした
この時、人生で初体験が2つあったんです
一つは佐野といえば「佐野厄よけ大師」
小さい頃からTVやラジオで知っていたのですが
この歳になるまで来たことがなかったのですが
お参りすることができました
そしてもう一つビックリだったのが
この日、講演前に群馬のおばさんと星野富弘さんの美術館を
スケジュールに入れていたため
東北自動車道から日光経由で車を走らせました
日光から星野さんの美術館に向かう途中必ず通るのが
足尾銅山で、この銅山のことを知ったのが
小学校4年生の時の社会の教科書にのていた
銅山から流れる鉱毒で苦しむ農民の方たちを救おうとした
田中正造さんのことからでした
白く長いあご髭が特徴できなお顔で
教科書にのっていた
「民と共に生きる」の言葉がとても印象的でした
足尾銅山、渡良瀬川渓谷を走っていたとき
ふと田中正造さんの名前が頭に浮かんだんです
美術館、おばさんのところに行き
佐野厄よけ大師をネットで調べると
ナント、田中正造さんの名前が!!
佐野市出身で、田中さんのお墓が厄除け大師にあるではないですか
そしてお亡くなりなって今年がちょうど100年だそうです
勝手ですが、田中さん呼ばれている気になってしまいました
10歳の時に知った方のことを未だに覚えていて
やはりいつかお会いたいと思っていたのだと思います
そして昨日も講演前にお墓に伺えました
民と共に生きる
再び頭に浮かんだ言葉であり
講演の最初の挨拶で佐野市の教育長さんが
死ぬまで一日として同じ日はありません
今あるかけがえのない命、大切にして輝かせて
今日、今、自分の目の前にある山をしっかり登って欲しいの言葉が
シンクロした瞬間でした
やっぱり私は学校現場が大好きです
生徒さんたち、先生方が大好きです
共に生きていたい、応援させていただきたいと
心から思え、喜びと幸せに満ちあふれた瞬間でした
私の心の中に生きていてくれた田中正造さんの志、生き方
少しでも今、目の前の方にできればと思っています
素敵な一日を過ごすことができました
またお参りに伺います
今日は午前中、東京足立区の中学校に伺います
出会いに感謝です
幸せな時間です
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