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かつて私は石だった  ~海の石・花の冠~

かつて私は石だった  ~海の石・花の冠~


昨日、仙台から返ってきました
父・母の新幹線の中での爆睡の寝顔に
3日間もの凄~く気を張っていて
もの凄~く体力を使ったんだろうなぁ~

よく頑張ったね、お疲れさん、ありがとう・・・
そんな思いでいっぱいでした

と同時にたくさんの知恵と可能性を新たに見つけた旅行になりました
家に着く間際の車の中で父が
「楽しかったなぁ~」 この言葉ですべてOKでした
と同時に「まだまだこれから」


昨日の午前中、私は24歳の女性と会っていました
おなじヘビ年

昨年末、仙台での仕事の後、友人から
腰塚さん詩で「花の冠」って知ってる?と聞かれ
どこかで聞いたことがあるような・・・

野田総理が所信表明演説で引用した詩であることを教えてもらいました

嬉しいなという度に
私の言葉は花になる
だから
あったらいいなの種をまこう
小さな小さな種だって
君と一緒に育てれば
大きな大きな花になる

楽しいなという度に
私の言葉は花になる
だから
だったらいいなの種をまこう
小さな小さな種だって
君と一緒に育てば
やさしい香りの花になる

花をつなげたかんむりを
あなたにそっとのせましょう
今はないているあなたも
笑顔の花になるように

この詩は震災直後に現在24歳になる彼女が書いたものです

彼女は生まれた時から重度の脳性まひで重複の障がいがあります
言葉も発することができず、目も弱視
自らの意志で動かすことのできるのは左手がわずか
でもとっても耳がいい とっても気持ちがいい
笑ったときの顔が素敵で 思いを伝えているときの真剣な顔が素敵で
今をとっても楽しんで生きている24歳の
大越桂さんに昨日会えました

昨年末、友人からプレゼントされた本のタイトルが衝撃的でした
海の石 ~かつて私は石だった~

ページをめくり、はじめを読んだだけで
胸が熱くなり自分の手術直後の悔しさと苛だちを思い出しました
それは手足が動かず、酸素を送る管が気管に入り言葉が出ず
痛いし、気持ち悪し、でも思いを伝える手段がなくって
悔しいし、情けなし、苛立つばかり
本当に意志を持った何も伝えられない「石」でした

一つ意志を伝える方法を見つけました
それは首を手術したにもかかわらず頭を振りました
願い管はずして!! 精一杯の表現でした

看護師さんには怒鳴られおこられましたが妻は分かってくれました
その時、痛感したことなんです
自分の思いが人の伝わることがどれほど幸せなことかって
それから言葉を大切に使おうって
少しでも人の気持ちを分かってあげたいって

桂さんの気持ちが痛いほど分かりました
彼女は今、お母さんや分かってくれる人の力を借りて
筆談で文字を書き思いを伝え続けています
そして「YES」は舌を出すんです

彼女、精一杯伝えてくれるんです
精一杯、受け取ってくれるんです
精一杯、その気持ちを表してくれるんです
精一杯、今を楽しみ生きているんです
素敵な彼女との出会いでした

「花の冠」「海の石」
昨年二月に同時に出された詩集です
もしよろしかったらお読みください

「積乱雲」というブログもやっている彼女です
http://plaza.rakuten.co.jp/678901/


今日も楽しく一生懸命に生きようと

感謝をこめて


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