愛着を持つ
「命の授業」の腰塚勇人です
先日、朝早く車で出かけ道の駅に立ち寄った時のことです
夏休みということもあったと思うのですが
車の多さには驚きでした
その中でもキャンピングカーの多さにはビックリ!!
皆さん車中泊でおそらく旅を楽しんでいる様子でした
そして・・・
次の光景に「ハッ!!」としました
それはそこにいたキャンピングカーのオーナーのほとんどが
車を拭いていること
そんな光景、タクシーの運転手さんぐらいしか見たことなく
正直、ビックリでした
「これが愛着なんだろうな~」となんとなく感じることができました
走ればいい
使えればいい
乗れればいい
車の使用目的をそういうふうに考えることもOKだと思います
しかし「ればいい」は決してそのものを大切には扱っていない
扱わないための言いわけの行為だと感じました
それもある意味大切な時があると感じながらも
1日24時間の中で
「ればいい」で合理的というのか
自分の都合に合わせて使い分けをものにも、人にもしていることに
気が付きました
愛着が湧くから手をかけるのか
手をかけるから愛着が湧くのかは分かりません
でもちょっと手をかけることで
「大切」「ありがとう」「大好き」といった気持ちが起こり
自分の気持ちがよくなっていることも感じられました
例えが違うかもしれませんが
私が麻痺の強かった右半身の手足にしたとは
毎日さすってあげることでした
その時、決して「使えない手」「使えない足」とは思いませんでした
ちょっと手をかける
ちょっと目をかける
ちょっと足を運ぶ
ちょっと気を使う
ちょっと気を使う
そしてちょっと「ればいい」をやめる
それだけで自分の人生、結構豊かになるような気がしました
「ちょっと」からでいいんですね
私も車をちょっと磨いちゃいました(笑)
やっぱり気持ちが良くなり
車に「ありがとう」が言えました
こう思うと行動が先かもしれません
愛着を持つ
ちょっとした一手間の
積み重ねだけなのかも知れません
感謝を込めて
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