恩おくり 9 ~こんな人いるのか? 3~
「命の授業」の腰塚勇人です
自分にクラスがある
自分を待っていてくれる人がいる
自分を信頼してくれる人がいる
おぼろげで、はかなく可能性としては0にきわめて近いと思っていた夢に
突然、太陽が現れた
女神が降りてきた
あとは自分で
太陽をつかみ取りに行くか
女神の所へ行くか
それだけの選択であった
当然行くと決めた
必ず復帰をすると決めた
そこには自分が求めている幸せがあるから
だから期日を決めた
やめない理由も決めた
6月24日
それは妻の誕生日
強がりではなくリハビリが苦しかった思い出はない
辛かったのは、はやる気持ちと身体の回復のバランスをとること
でも心はキレも乱れもしなかった
今できることを全力でやると決めていたから
トータル的にはプラスマイナス0でも少しでも昨日より
回復したところを見つけ出す意識を持てていたから
すなわちそれは小さな幸せ、小さな成功体験の積み重ねだった
どんな一歩でもどんな半歩でも目標に近づいている自分の確認だった
6月15日ケガから3ヶ月半
運命の日
右半身の手足の機能回復は約半分に
杖をついての歩行にようやくなれたところだった
現場復帰の一番の難関それは階段・・・
なぜなら次転んだら・・・
リハの先生と主治医の意見はまっぷたつ
現場復帰がリハビリにつながると考えるリハの先生と
もう少し病院でリハビリをして機能回復と体力向上と考える主治医
最終的に教頭先生と妻を交えての相談となった
私に対しての学校での医師からの注意事項を教頭先生は黙って聞いてくれた
何も言わずに、ただ一言
「お前が一番戻りたいんだもんな・・・」
フラフラながらも6月24日に現場復帰をした
「俺は戻ってきた~!!」心の中で何回も叫んだ
あの時、本当の意味で「よく頑張ったね」って自分を褒めてあげた
クラスに入るのはちょっと恥ずかしかった
生徒たちがクラッカーで出迎えてくれた
嬉し涙で言葉が言えなかった
一生忘れられない日であった
その日の夜の妻との記念すべき誕生日は疲れ果ててバタンキューだったが・・・
現場に戻って教頭先生と学年主任の裏話を同じ部活の顧問の先生から聞いた
実は校長先生はクラス担任も現場復帰も「NO」であった
学校の責任をとる立場の人なら当然だと思う
クラス担任と現場復帰ができたのは、すべて校長と教育委員会に
二人が直談判に行ってくれ、最後は二人が私のことについては全て責任を負う
ということで話しをつけてくれたからだ
しかし二人はそんなそぶりはいっさい見せない
学年主任は「あ~担任できなくなって寂しいな~」って
教頭先生は「転ぶな」
これしか言わない
この二人に私は人生を救われ生かされた
私が今できること
人を信頼して、その信頼した責任を生きること
(まだまだこの域に達することはできないが・・・)
それが先生方から教えて頂いた第二の命の使い方
この教えを胸に自分の使命を生き続けます
自分の使命に気づかせてもらえた私は幸せ者です
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