終 活
50歳を前にして
自分の健康に本当に注意を向けるようになりました
2002年にスキー事故で死と直面して
命がなくなる怖さを痛感しました
まだまだしたいことがたくさんある・・・
後悔ではすまない無念さ
そして自分の命が自分だけのものでないことも
たくさん人に命と人生を助けてもらって
社会復帰ができたとき、感謝以上に思ったことが
「命は有限である」ということ
そして、いつかまた死ぬということ
そしてその日はいつ来るかは正直分からないということ
今まで以上に生きることに
慎重にも行動的にもなりました
その理由の一つが
少しでも後悔をしない生き方をしたいという思いから
36歳で健康な身体から傷がいがある身体となり
折り合いをつけながらの生活はある意味
少し他の人より早く老化がきたと言い聞かせる
毎日でもありました
しかし50を前にして
本当に傷がいによる色々な部分での機能低下とは別に
年齢による機能低を感じるようになりました
特に身体の内臓部に
油断すると、放っておくと加速度を増して・・・
それに少しでも抵抗できる自分いたいとも思いますし
それを受け止め楽しめる自分でもありたいとおもいます
そのための準備が大切なような気がします
「こんなはずでは無かったのに・・・」
「こんなことになるとは・・・」
そして本当に厳しい状態になったときに
周りにかける迷惑は最小限にしたいから
友人のメルマガにこんな記事が載っていました
だれもがいつかは必ず死にます
老いと共に、長い時間をかけて部分的に死んでいきます
死は願わしいことではありませんが、必ずやってきます
願わしくないことを越えるには
それから目を逸らしては解決できません
死は確固としてその人の未来ですから、
死を考えるということは前向きな姿勢なのです
走れなくなったり、噛めなくなったりすることも
死ぬべき運命に向かっているのだということを
ちゃんと自覚したほうがいい
自分がそうなる前から、そうなった時のことを考えるのが
人間と動物を分ける根本的な能力の差であることを思えば
私はやはり前々から、老いにも死にも
慣れ親しむほうがいいように思います
死を認識すれば、死ぬまでにやりたいことが見えてきます
とにかく死ぬまでにやりたいと思うことを明瞭に見つけて
そちらの方向へ歩いて行く
そして、ある日、時間切れで死んでしまう
だれでも最後はだいたいそういうものです
しかし、いいこと、おもしろいこと、凄いことをやる人は皆
心のどこかに確実に死の観念を
持ち続けていたような気がします
最後は終活セミナーの案内でしたが
私の中ではうなずきながら読んだ内容でした
健康が一番であることはだれでも分かっています
でも、老化も死も「まさか」ではないんですよね
意識と準備、大切です
近頃、身近な人の死と
健康面で自分の残りの人生を考えていた友人とそのご家族の話しを聴き
そして昨日は長野での講演のあと
私が入院をしていた佐久病院を訪れました
改めて自分の終活を考えたときでした
今日という一日
意識を持って大切に過ごしたいです
感謝をこめて
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