早くなんかない・・・ ~闘いはまだ終わっていない~
「命の授業」の腰塚勇人です
昨日は親父の入院中最後の
主治医とのカンファレンスでした
5月に脳梗塞で倒れ
回復期のリハビリ病院へ転院をしてきたのが7月
それから5ヶ月が経ちました
「腰塚さん、ここまでよく頑張りましたね」の主治医の声に
言葉をかみしめながら、無言のままうなずく親父
もう一声かけようものなら泣いてしまうのでは・・・
親父にしか分からない
苦難の日々であったと想像することしかできませんでした
ドクターが親父の頑張りをねぎらうために言ってくれた
「5ヶ月間、あっという間で早かったですね~ 」と言ったとたん
親父は
「早くなんかない・・・」とぼつりと一言
すると親父が
「先生、私は杖を使ってでも歩けるようになりますかね・・・」と
そうなんです
親父は歩けるようになることを目標に
毎日一生懸命にリハビリを頑張ってきていたんです
親父の闘い(イイ表現か分かりませんが)まだ終わっていないんです
退院が決まり、親父の身体的機能現状と安全性、
そして家族の支援の負担から
誰もが親父は車いすの生活と考え
その環境作りと親父にこれからの生活スタイルを伝える中での
親父の発言でした
親父、今でもそう思っているんだ・・・
どこか親父のためと考えつつ
家族と医療関係者の都合と一般的にはという考えのもと
実は主導的に親父の人生をコントロールしている気が
したときでもありました
今はしょうがないから・・・
今はしかたないから・・・
現状からベストとまでいかなくても
ベターな親父にとっての環境設定は考えてきたつもりでいる中
私自身も「今」に振り回されはじめ
親父の気持ちや夢を置き去りにしてきた気がしました
「今は」という言葉の先には将来的にはもっと・・・という意味が
本来あるはずなのに実はこれが
当たり前の生活スタイルになってしまう可能性というか
危険性が高いと感じました
そのうち親父にも家族自身も落としどころを
「これでも幸せ」という言葉で表現しはじめる・・・
確かに幸せは現状からでも
たくさん感じられ、見つけることはできます
満たされ、足を知る気持ちは常に心がけるつもりでいます
笑顔とありがとうを大切に生活はするつもりです
しかし、親父の夢を置き去りにするところでした
親父とっては何も終わっていないんです
退院後、家族全員で夢を叶える宝地図を作り
家族みんなの夢の共有をします
終わりは始まりなんですよね
だからそこある意味夢や目標を明確にして
毎日を充実して生きることが大切であると改めて感じました
親父、必ず歩こう
そして親父の夢を一緒に叶えよう
「これから」を明確にしない「今は」という落とし穴に
落ちるところでした・・・
感謝を込めて
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