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いっぱい失敗していいんですよね

いっぱい失敗していいんですよね


「命の授業」の腰塚勇人です

昨日は埼玉の福祉専門学校での講演でした
夏休み明け直後の学生さんや
まだ夏休み中の学科の学生さんたちが
たくさん集まってくれました

私は自分の体験の中で「ドリームメーカー」の存在の話をします

首の骨を折り、全く首から下が動かなかった私に
生きる勇気や現場復帰の夢を持たせてくれた
カッコイイ人が私の周りにはたくさんいました

その人たちに共通していたこと
それは私に「安心」を与えてくれたこと
リスクを承知で私を「信頼」してくれたこと

自爆事故でたくさんの方に迷惑をかけ正直
自分の身体のことよりその無責任さからくる
申し訳なさに苦しみました


と同時に
こう思われて当たり前・・・
ああ思われて当たり前・・・

悪いとは思っているし、
自分でとらなければいけない事後のどんな責任も・・・
と覚悟しつつも

実はたくさんの方に迷惑をかけた申し訳なさと同じくらい
これからうける責任問題への恐怖とプレッシャーがありました

現場に戻らないほうが・・・
現場に戻れないほうが・・・

無責任なことをしたくせに卑怯にも
逃げの心理がはたらしていたことは確かです

それはどこか小さいころからの失敗をした時の
「これから怒られる・・・」の感覚と似ていました

怒られて当たり前です
文句を言われて当たり前です
ある意味、見捨てられて当たり前です

私が事故を起こしたことと
身体に障がいがある状態での現場復帰にたいして
たくさんイヤミや悪口も言われました

私の場合、言われて当然と覚悟していましたが
やはり耳にすると辛かったです

でも、そのことをお腹の中でとどめてくれ
これからのことを一緒に考えてくれる方もたくさんいました

「許されている」という感覚より
「許してもらえるよう、頑張ろう」という気持ちになれました

何かしらの原因はあるにせよ
最初は誰もしたくて失敗する人はいません
(自分のことを正当化するつもりはありません)

その時の周りの人の言動と本音の部分一つで
その失敗がその人の成長にもなれば
立ち直れない状態を作り出すこともできると感じた時でもありました

全てとは言わないまでも失敗は成長のきっかけになるはずなのに
なんだかものすごく今の子どもたちを見ていると
「失敗しない生き方」をしている人が多い気がしてなりません

それが決して悪ことだとは思わないまでも
怒れらないために、傷つきたくないために
自分から言動を起こさず、言われたことだけをこなし

どこか大人の都合のいい子
どこか絶えず大人の顔色をうかがっている子
どこか大人に対して「どうせ大人は・・・」みたいな
絶望感や冷やかな目で大人を見ている子

大人も大人で自分の枠や思いからはみ出た子どもに対しては
見捨てるか無理矢理枠に押し込もうとする言動が少なくないことも
事実のような気がします

大人が子どもたちのドリームメーカーであってほしい
私も誰かのドリームメーカーでいたい

定義があるわけではないにせよ、その中に失敗を次に生かす
チャンスや気付きそして次への一歩を踏み出す勇気を与えてあげることが
入る気がします


講演会終了後、「いっぱい失敗していいんですよね」と
声をかけて来てくれた学生さんがいました

「大丈夫、君の力を信じていてくれる人はたくさんいるから」
と答えました

私もその一人でいたいと思いました


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