浅間山が見ていてくれる
「命の授業」の腰塚勇人です
昨日は長野県軽井沢町にある中部小学校で話をさせて頂きました
軽井沢はケガをする前から何度もきているところで
親近感は持っていたのですが
今回は初新幹線で
そしてビックリしたのが・・・小学校&児童生徒さんの数
避暑地ではあるけど田舎の学校・・・という勝手な観念のもとに
行ってみてビックリ!!
学校はデカイは
全校生徒さん数はなんと!!
500名を軽く超え体育館には保護者の方々を混ぜると800名以上・・・
人がこんなに住んでるの???って失礼ながら・・・
ビックリしながらもなんだかとっても嬉しくなってしまいました
私の講演の前に
各学年の児童生徒さんによる合唱がありました
合唱発表会のテーマが「響け!☆中部の歌声!大空に!」
1年生 「虹」
2年生 「あの町この町」「夕焼け小焼け」
3年生 「あの青い空のように」
4年生 「雨降りお月さん」
5年生 「夕焼けに拍手」
6年生 「見上げてごらん夜の星を」
全校 「星つむぎの歌」
各学年の皆さん、空に関係する歌を歌っていました
私の中では空というとケガをして以降どこか
昼間、太陽で見えない星が気になるようになりました
それは今日の小学校の校庭よりよく見えた浅間山を
入院中、病院の突き当たりの廊下から車いすに乗れるようになってから
毎日眺めるようになった時に感じた想いからです・・・
それは「私はここにいます・・・」という気持ちがとっても強かった時でした
私にとって病院はどこか普段の人生から隔離をされている場所でした
当たり前と言えば当たり前なのですが・・・
このままここにいたらいつか忘れられる・・・
そんなことまで考えたときもありました
毎日浅間山を見ながら
「病院を退院して必ず登りに行きます」と心に誓っていました
それは私が「いつものふつうの世界へ戻る」という事を意味するものでした
病院ではふつうの世界が特別の憧れの場所でした
なので今でも毎日ふつうの世界で生活ができることは幸せでたまりません
正直、もういつ退院できるか分からない入院はしたくないです
今日、浅間山を見たとたん涙が出てきました
浅間山が「お帰り」「元気になったね」って言ってくれているようでした
本当に幸せでした
本当に生きて良かった
本当に戻ってこれて良かった
私にとって浅間山は母なる山なんです
その麓にある小学校での講演、一生忘れられないものになりました
実は12月10日は私が入院していた
佐久総合病院での講演が予定されています
こちらも今から楽しみなんです
と言いながらほとんど毎日講演をさせて頂き
たくさんの方と出会えつながれていること幸せでなりません
浅間山に「また来るね」と言ってお別れしてきました
今日は午後から大分日田での講演です
今から楽しみです
感謝を込めて
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