お母さんの紙風船の絵が見たくて
お母さんの紙風船の絵が見たくて
群馬県の先輩が毎月「虹の架橋」
という通信を送ってくださいます
先月号に「紙風船」という記事がありました
母は大正8年生まれ
昭和7年、高等女学校1年生(13歳)の時に
「紙風船」の絵を描きました
昭和17年に父と結婚をして
昭和27年に長男を出産
しかしその3時間後、出血が止まらず亡くなりました
お店の創業100年を迎えるに物置を整理していたら
母が花嫁道具と共に持ってきた絵が
偶然発見されました
90年前に描かれた絵を通して家族とは、人間とは
生きるとは何かを考えています
という内容でした
そうなんです、長男さんとは先輩のことで
お母さんは「男の子が生まれて良かった・・・」
と一言いわれ、お亡くなりになったそうです
昨日、本家のお墓参りに行き
どうしても紙風船の絵が見たく先輩のお店を伺いました
「紙風船の絵を通して今、母と出会え想いを馳せていますし
一番の供養です」と
紙風船の絵を大事にかかえ涙を浮かべながら
話をしてくれた先輩
お母さんの分まで命を喜ばせ今を生きていらっしゃるんです
実は今月8月の虹の架橋がなんと300号なんです
1年間で12号ですよ
300/12 = 25年・・・
それだけでなく毎週休むことなく行っている
大間々駅のトイレ清掃も1300回だそうです
1か月4回としても1年で48回
1300/48 = 27年以上
これからはお母さんと一緒に活動を続けるんでしょうね
帰り際、先輩から
「腰塚さん、お父さんとお母さん、大事にしてくださいね」と
父と母との時間
少しでも後悔のないよう大切に過ごしたいです
今日も感謝と共に命を喜ばせ使います