簡単に結論を・・・
先日、元同僚たちと話していると
とってもいいやつばかり何ですが
会話の中に
「でもしょうがないんですよ」
「言っても無駄なんです」
「やっぱり向いていないんです」であったり
会話の中で
「そうそう俺も」「そうそう私も」「そうそうあるある」
こんな言葉を何度も聞きました
どこか苦労話自慢大会に・・・
裏には俺・私、頑張っている~
の気持ちが見えるのですが
ともに今、大変な思いをしている仲間、みんなそうなんだの
「思いこみ」から
できない理由、やらない理由を言っているようにも聞こえました
人の体験談を聞いて
「自分もきっとそうに違いない」
「自分も同じだ」
「自分もやっぱり無理なんだ」
今、ある環境もしている仕事も、接している人もみんな違うのに
そして今、悩んで課題にしていることへの
考え方や取り組みの方法や量など
1つの結果に対していろいろな考察、要素があるはずなのに
他のことは無視して、かんたんな結論に走ってしまう
言うのがめんどくさいのもあったり
そういう雰囲気ではないからかもしれないのですが
そういうときに
「俺はこう思うよ」「こうした方がいいんじゃない」と言っても
何、一人でいい子になっているんだよ
そうは言うけど・・・
聞く耳のシャッターはなかなか開いてくれません
でもどこか危険だし、もったいない考え方のような気がしました
もうちょっとで乗り越えられたり、成長できるのに・・・
もしかしたらこうやってちょっとずつ
自分へのイメージ
俺は、私はこういう人間、みんなそうだし
思いこみを作っていくのかもしれないな~と
人間の脳は常にラクをしたがり、自分で判断しない
カンタンな結論が大好きであると本で読んだことがあります
でも、現実は心理的な部分、技術、努力の量や質など
色々なもので環境や結果は変わっていくはずで
実はこのこと本人が一番知っているのかもです
教師なりたての頃、恩師から
「うまくいか、いかないかは
自分で期限を決めて方法をいくつかもって
やり続けてから決めなさい」と
すなわち、思い込みをしないようにマイルールを決めて自ら実行する
=簡単に決めつけないことだったようです
今は仕事でも、対人関係でも役立っている気がします
それと思いこみの同情仲間=やらない安心仲間は
お互いに堕落の道を歩むような気がします
誰とつきあうか、誰と一緒に生きていくか
とっても大切な気がします
そのためにも楽へと走る脳を鍛える意識は
常に持つ必要がありそうです
自分の成長のためにも
今日は午前中、滋賀県米原の中学校です
脳をしっかり使ってきます!!
今日も素敵な一日になります
感謝をこめて
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