忘れていけない ~放射能との闘い~
昨日は福島から車で飯舘村を通り南相馬に入り
会社様の新年研修会で話をさせて頂きました
震災後、福島市内や飯野町に伺い講演をしましたが
飯舘村、南相馬市は初めてでした
岩手、宮城、福島、茨城県に伺うたびに
地元の方からはニュースでは流れてこない
ある意味生々しい話を聴くことも度々です
そのたびに胸が痛み、背筋がゾッとします
と同時に今、何不自由なく生きていることがどれだけ幸せか・・・
そう思わずにはいられませんでした
私の命の授業の本を読んでくださった会社の社長さんが
社員さんの研修にと呼んでくださいました
でも社長さん本当は南相馬の子どもたち特に中学、高校生に
私の話を聞かせたいと伝えてくださいました
一緒にいった友人や社長さんからこんな言葉を聞いてびっくりでした
その言葉は「汚染物質」
何が、誰がか分かりますか?
そうです あの原発事故で目に見えない放射能を
受けた人たちそのものが
私の中ではもの凄くショッキングな言葉でした
人が放射能の汚染物質・・・
また津波や放射能被害で南相馬では
「命」「生きる」という言葉を住民の人たちが言わなくなったと
その言葉に思い出すものが非常に重く
この先を考えても苦しいからだと
学生の人たちに私の話をと思ってくださっている理由は
放射能から避難された場所での心ない言動や抽象
この地域の人間だからと偏見や風評に傷つき苦しみ
将来に生きる希望を見いだせない若者が増えていることが理由でした
世の中には、悔しいこと、理不尽なこと、悲しくなることたくさんあります
でも人間の生命力はそんなにヤワじゃないんです
そのことを子どもたちに伝えて欲しいと
人のセイにしてたって、いくら言い訳を作ったって
起きてしまったことで自分の人生変わらないんです
今、この地域に一緒に住む私たちが大人が
未来ある子どもたちに残してあげられるものは
この状況でも未来を信じ
それに向かって今を生きる姿を見せることなんですと
忘れかけていた被災者の方の現状を伝えてくれた生の声でした
「必ず伺います」とお約束しました
南相馬から仙台空港へ向かう途中の風景は
まだまだ震災の傷跡が残るところばかりでした
命を落とされた方
大切な人、ものをなくし心に深く傷を負いながらも
今を懸命に生きている方々
同じ時間この日本に生きながら
まだまだ自分のことしか考えていないことを気づかされました
ある意味自分のできる範囲なんて決まっています
でもまだまだできるこことがあるって・・・
あのニュースの画像で津波に飲み込まれた仙台空港にも
初めて行きました
復興の力
人間の力を感じた時でもありました
今、自分にできること、私が持つ生命力
まだまだあります
今生きていることに感謝して
今日も札幌市立陵北中学校の生徒の皆さんに
南相馬で感じたこと、今でも放射能と闘っている人のことも含め
楽しみながら本気で命の授業してきます
今日も素敵な一日になります
感謝を込めて
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