3月1日になりました ~ケガから10年です~
「命の授業」の腰塚勇人です
2002年の3月1日
私にとっては人生最大の「まさか」が起こった日です
スキーで転倒し首の骨が折れ
呼吸が止まりそうになり、首からしたが全く動かず
「死にたくない、誰か助けて~」と言って泣きが入りました
あの時の心の状況と姿は未だに覚えています
今までの人生への後悔と死への恐怖の中で
泣き叫んだ言葉でした
そしてこのケガの体験が教えてくれたこと
それはやっぱり命は「有限」であること
そしてその命はいつ終わるかは
誰にも分からないと言うことでした
今度いつ来るか分からない死に
おびえて生きているつもりはありません
ただ社会復帰をしたときに決めたことがあります
そのいつ来るか分からない死を次に迎えるときに
二度と後悔ややり残したといった思いを多く持って
その日を迎えるのだけはやめようと
すなわちそれは今日を大切に本気で生ききろうと決めました
それから丸10年が経ちました
入院中、そして退院後色々ありました
退院後の数年は正直喜びや幸せより
辛さや悲しさ悔しさの方が実は強く多かったです
弱くなった自分とできないものだらけになった自分に
向き会い続ける数年でした
今の俺に本当にできること 本当にしたいこと
教員の続けることなのか? それとも違う道なのか?
それが一体なんなのか? そして本当にそれができるのか?
でも、しなかったこと
皆さんもしていることですが
自分の人生から逃げませんでした
人のセイにはしませんでした
だから・・・苦しみました 悩みました
プライベートの時間はとにかく教員とは別の勉強会に出ました
ケガの経験から
必ず素直に相談できる人がいる事は分かっていました
そして自分が大切にしている生き方をしている
「この人だ!!」と思えるメンターとの出会いも
自分の直感として、ケガをした時に磨かれた気がします
ここまでくるのに10年かかりました
その間、メンターから素敵なたくさんの
アドバイスや出会いをもらいながら
常に最後のメッセージや課題は「本気」と「自己責任」を
試されるものばかりでした
転職をするにしても、今の仕事続けるにしても
「変わるのは」「変えるのは」「成長するのは」
環境や周りの人ではなくやっぱり最後は「自分でした」
本気に、誠実に、正直に生きていこうとするからこそ
周りの大切な人が教えてくれること
それはその人の持ち味という強みとその生かし方と
人は悩みもがき苦しみながらも
結果がついてこなくても真剣に努力を続けている人を
応援したくなるのだと
そこには本気という工夫が見られるから
すなわちそれが成長であり成幸の一番の近道だから
そんなことを教えて頂きました
この10年で一番大切にしている言葉
何をするか 何を食べるか どこへ行くか 何を言われるかより
誰とするか 誰と食べるか 誰と行くか 誰に言われるか
KNOW HOW より KNOW WHO
これからも自己責任のもと
守るものを守り、自分磨きを続けていきます
今まで私を支えてくれた大切なドリームメーカーのために
そして今まで私を生かし支えてくれた
自分の内側にあるドリームメーカーのために
今日までありがとう
今日からまた一日、一日を大切に生きます
感謝をこめて
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