恩おくり 9 ~こんな人がいるのか? 1~
「命の授業」の腰塚勇人です
私が一生かけて恩おくりをさせていただきたいと
おもっている先生方がいます
それは5年間一緒に過ごさせて頂いた
学年主任の先生と大学の先輩だった教頭先生です
その先生方からは可愛がってもらっている・信頼されている
という気持ちを勝手に感じ、感謝の気持ちでいっぱいでした
いつもその期待に答えようとする自分がいて
とても気持ちが良い毎日を過ごすことができていました
人が生きる原動力が「あてにされている」「期待されている」
と学ばせてもらったときでした
そんな先生方の信頼を結果的に裏切るできごとが
2002年3月1日のスキー転倒による首の骨を折ったことでした
首の骨を折って搬送される救急車の車内では
家族のこと、学校の先生方、クラス、部活の生徒達のことが
頭の中をぐるぐる巡って申し訳なさでいっぱいになりました
手術が成功した後、私が直面した現実
それは首から下が全く動かなくなってしまった・・・
というものでした
そのときの衝撃は身体が自由に動かなくなったというだけに留まらず
すなわちこの事実は「教師はもうできない・・・」という判断を
自然に引き出しました
生育歴の中で夢や目標達成へのチャレンジは五体満足の中での
経験しかなかった私には
出口の見えない真っ暗なトンネルに入り込んだときでした
いやそんな言葉では言い表せない
絶望すら切り刻まれ、そのかけらすらなくなる心の状態でした
手足の動かなくなった私は
舌を噛んで自殺もしました
死ねるわけないのに・・・
存在を消したかった・・・
そんな首から下が動かない私の存在価値だけではなく、
「生きる役割」を与えてくれたのが学年主任と教頭先生でした
この言葉が言えるまでにものすごい時間がかかりました
でもこの二人には何の意図も駆け引きもなく、
素直に正直な気持ちが言える自分がいました
首から下が動かない、どこまで回復するか全く分からない私が
(実は医師は妻に現場復帰はまず無理だろう伝えていました)
二人が三月の中旬にお見舞いに来てくれたときに
何の根拠もなかったにもかかわらず言っちゃった言葉があります
なんだと思います?
それは
「4月から中3の担任がしたいです・・・」
そんなの無理・申し訳ないという気持ちを持ちながらも
言っちゃいました
言えちゃいました
教頭先生は
バカ言え
中3の進路がある担任だぞ
まず身体を焦らず治せ
中3の学年の所属にはしとくから
今は身体を治すことに焦らず専念しろ・・・
でした
学年主任は
腰ちゃんの気持ちは分かったわ
腰ちゃんの気持ちは校長には伝えておくから・・・
でも、焦っちゃだめよ
でした
自分で話す前から返ってくる返事は分かっていました
でも自分の気持ちを言えたことだけで、言える人がいただけで
感謝の気持ちでいっぱいになりました
3月の下旬に学年主任が再度お見舞いに来てくれました
とんでもないものを持って・・・
つづく
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