最幸に緊張した恩返し
先日の母校での創立40周年記念講演
実は後輩たちに命の授業ができる喜び以上に
朝からもの凄いプレッシャーがあったんです
それは高校時代
私に教職の道を示してくれた恩師も
来賓として呼ばれていたんです
恩師も体育
最後は神奈川県の体育教師のトップのポジションまでいった先生
私が体育教師になってくれたことを本当に喜んでくれ
ケガをしたときも病院へお見舞いにも来てくれ
「この親不孝者!!」と怒られ
学校へ戻った時は「これから親孝行するんだよ」って
しかし・・・理由は色々ありながらも
先生に相談せずに教師を辞めてしまった私
人づてにそれを知った先生は
気持ちが分からないわけでもないけど
「あなたは教師に向いてるの」
「あなたの言葉は子どもたちに伝わるの
だから現場にいて欲しかった」
「私は悔しいし寂しい」って
恩を仇で返した気持ちと
いつかこの命の授業で恩返しを思いつつも
それからは私の方からは連絡が取れませんでした
それがまさかこんな形で恩師に再会することになるとは・・・
講演前に30分ほど話ができ
お互いの気持を伝え合うことができ分かり合えました
それはそれでとっても嬉しかったのですが
別れ際の「講演、楽しみにしているね」の言葉に
口では「頑張ります」とは言うものの
プレッシャーがかからないはずがありません
ステージ向かって左の来賓席に座る恩師
ステージ中央でしゃべる私
でも・・・真ん中から右側ばかり見て
左の方を見る回数が圧倒的に少ないことに気づく私
無意識のうちに恩師の顔が気になって仕方がなかったんです
とは言うものの全力は尽くしましたが
やっぱり気になるのは講演の後の恩師とのおしゃべりタイム
そこで恩師から飛び出した言葉は
「教え子の授業を受けられた私は幸せ
あんなに高校生が真剣に話しを聞いてくれるんだもん
あなたは今でも教師よ」
「これかも応援しているから、
納得いくまで伝え続けなさい」
その言葉にありがとうとごめんなさいで
涙があふれてきました
いつくになっても大切な大好きな恩師です
だからこそこの仕事を本気でやり遂げます
これからも温かく厳しく見守って欲しいです
最高に緊張した恩返しでしたが
幸せな時間でした
昨日、高知から戻り
今、金沢の高校に向かう新幹線の中です
恩師の顔と言葉が浮かんでいます
今日も高校生に命も授業、本気で伝えてきます
感謝をこめて
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