ありのままを
「命の授業」の腰塚勇人です
スミマセン・・・
ようやくEMが使える場所に来ました(朝書いた記事です)
今日から7月です!!
今、岩手県釜石に来ています
どうしても来たかった釜石です
昨年11月に東北電力釜石営業所所長様から
釜石に元気を与えて欲しいという講演依頼でした
教育委員会との共催だったため
翌日には市長様とも会って話をさせて頂きました
新幹線の駅からも山をいくつも超え
車で1時間半以上かかったことを覚えています
そして会う人会う人がもの凄く暖かでした
なので3・11のテレビから流れる釜石の津波の様子には
私が朝散歩で歩いたところばかりが映し出され
背筋が凍りつきました
と同時にあの時会った方々は・・・
その後1週間過ぎに営業所長様から無事の連絡がありホッとしました
人ごとには思えずどうしても伺い
お見舞いと講演料の一部をお渡ししたく
ようやく来ることができました
釜石の様子はまた明日お伝えせさせて頂きます
実は車で真っ直ぐ釜石まで来ようと思っていたのですが
岩手県?!
そういえばこの間・・・平泉が・・・
ミーハーな私は
まず世界遺産になった平泉の中尊寺の金色堂を見てから釜石に!と
予定を変更してしまいました
急な月見坂を上り大きな木の間を抜け本堂・宝物殿を見学し
いよいよ目的の金色堂!!
平日ということもあり人は少なく
とても気持ちの良い空気とゆっくりとした時間を
たくさんいただききました
そこに大きな体でTシャツ・短パンorジャージの
マッチョな男の集団が・・・
最初はどこかのラグビーのチーム?と思っていたら
どこかの県警もしくは自衛隊の皆さんだと分かりました
「ありがとうございます」と感謝の気持ちでいっぱいでした
中尊寺の金色堂に入ってビックリだったのが
やっぱり金ピカその中で木の瓦がなんだかミスマッチで面白かったです
(何かしら意味はあったのだと思いますが)
それと大きな建物のだと思っていったので
大きな建物の中に保存されていて、ちょっとちっちゃい?!
なんておもったりも(ばちが当たりますね・・・)
そこで手お合わせいることはやっぱり父親のことでした
でもそのとき口から出た言葉は
親父が良くなりますようにお守り下さいではなく
親父のために私のできる環境を与え私を使ってくださいでした
私がこの時感じたことは、親父のあるがままを受け止め、受け入れる
そんなメッセージを受け取った気がしました
釜石には夕方になってしまいましたが
市内・港を回って感じたことの一つでもありました
そこには表面的かも知れませんが
津波前と変わらない生活をしている、しようと生きている方々の
たくましさを強く感じたからです
ここまでくるのだって・・・とお叱りを受けてしまいそうですが
あるがまま、今を受け入れるところからしか
何も次にははじまらない
だからその今自分に何ができる・・・そして誰とだったら・・・
いい時間をもらっています
今日は釜石市教育委員会と東北電力釜石営業所へ伺い
その後石巻の電気屋のおばさんのところへ行こうと思っています
感謝を込めて
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