今の私の原点にある出来事の一つ
「命の授業」の腰塚勇人です
昨日は、本のソムリエ団長さん司会のもと
渋谷大盛堂書店さまの渋谷読書大学でトークショーを
させていただきました
暑い中、たくさんの方にお越しいただきました
ありがとうございます
前日が横浜講演でしたが
「昨日も来てくださいましたよね・・・」
という方が何人もいらっしゃいました
本当に感謝の気持ちでいっぱいです
それもあり、昨日は普段あまり講演会ではお話しすることのない
私のケガの時の体験をお伝えさせていただきました
前後の脈絡は忘れてしまったのですが
その中で私自身改めて今こうやって社会復帰ができていること
社会に出て生きていられることの幸せを感じられずにはいられない
出来事を自分自身が話していました
五体満足で、病気もしたことがない私が入院をして、
一番びっくりしたのが病院内に車いすの方や手や足が失われている人が
たくさんいらしたことです
本当にビックリでした
気付きとかそんなレベルのものでなく
世の中にこんなに多く、身体に障がいを抱えている人がいるんだ・・・
本当に驚きでした
自分の無知さや生きてる世界の狭さに気がついた時でした
リハビリを続けていく中、ある男性と知リあうことができ
リハビリの時間が一緒でした
その方は事故で右足と右手を失っているかたでした
いつものようにリハ室の行くとその方がいません
「あれ?今日はいないのかな? 何か用ができたのかな?」
そんなことを考えていた次の瞬間
リハ室の奥のベットからその方の声が・・・
「先生できました!!」
「あっ! いらっしゃるんだ」
声がする方に眼をやると
そこはベットの周りがカーテンで覆われていました
「あの中で何をしているんだろ???」
そんな疑問が湧く中
リハの先生がカーテンの中の彼に
ストップウォッチの時間を伝えているんです
ますます私は「???・・・」
「何やってるんだ???」
次の瞬間、カーテンがリハの空きました
そしてそこから現れた彼は・・・
私は目が点になりました
時期は6月の中旬、リハの恰好は半そで短パン
でもカーテンの中から現れた彼の姿は
Yシャツを着てネクタイをしてスーツを来て靴を履いて・・・
そーなんです仕事へ向かういでたちになっていたんです
どうやって着替えたと思います
そうです、残された左手一本で
彼の顔が笑顔で眩しかった事を覚えています・・・
「俺は社会復帰ができる・・・」
彼と話をしたわけではありません
でもそう顔に書いてありました
病院にいる方の思いの中には
家に戻りたい、社会に戻りたい
そんな当たり前のことを目標に生きている方がたくさんいらっしゃいます
戻れば戻るで次の壁がたくさん立ちはだかります・・・
でも戻りたいんです
人間だから
人と一緒に暮らし認め、認められ
たくさんの事を分かち合いながら、支え合いながら
生きていきたいんです
彼が社会復帰を決意し行動に移すまでどのくらいの時間が必要であったかは
予想がつきません
そして社会復帰が本当にいいのかどうかは本人にしか分かりません
正直、社会は守られるところより厳し事の方が多かったです・・・
でも、私は彼のあの時の笑顔からのメッセージは忘れられません
今、社会復帰ができていることへの幸せ
ちょっと忘れかけているときだったのかもしれません
暑いですね~
くれぐれもお体にはご自愛ください
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