人を動かすものって何
「命も授業」の腰塚勇人です
先日講演会をさせていただく中で
その時は時間的なこともあり内容には触れなっかったのですが
家に帰ってから今日までずーっと気になっていることがありました
「私の命と人生が助かり、今まで生きこれた原動力って何・・・」
ちょっと重たく感じてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが
最後までお読みいただけたら嬉しいです
それは「足」でした
皆さんにとっては ・・・ ??? ですよね
私にとっては「足」のイメージがとても強いんです
私にとってこの足が意味するものは
「その人に会いに行く」「その人ところへ出向く」というイメージです
すなわち人のために「動く」
ケガをする前、ある同僚から腰ちゃん変わってる・・・って言われました
それはなぜかというと
同じ体育科の先生のお父さんが亡くなりお通夜と告別式の連絡が
朝の打ち合わせでありました
そこで管理職から
「今回は皆さんお香典だけで・・・」
「○○先生もお気持ちだけでと言っていらっしゃいますので」と
その理由は先輩のお父さんのご実家が大分県だったのです(私は神奈川)
・・・
でもなんだか無性に「何か変・・・」と沸々と湧きでてくるものがありました
学校の近くなら全員とは行かなくてもお葬式に参列するのになぜ今回は・・・
自分の勝手な観念だったかもしれません
誰かが許せないとかではなく、どうしても行きたくなり
管理職に授業が終わってからその思いを伝え、
先生方のお香典と一緒に大分まで行かさせてもらいました
その行為が「変わっていた」みたいです・・・
逆に先輩には迷惑をかけてしまいましたが、行ってよかったと思いました
その先輩が私がケガをしたときとんでもないことをしてくれました
それはマイクロバスで長野の病院まで生徒たちを募り
私のお見舞いに来てくれたです
往復で8時間です
生徒たちに会えたこと以上に先輩の思いは今でも忘れられない宝物です
私がお礼を言うとその先輩は一言「お互い様でしょっ」
・・・
長野の病院へ入院中
生徒・保護者・同僚・友人を含めると神奈川から200人近い方が
お見舞いに来てくれました
手紙や電話が悪いと言っているわけではありません
色々な事情もあります
時にはそのほうがいいときも私自身実感しています
でも、会うってことは自分の人生の時間をその人のために割くことであり
時にはお金もかかります
ビジネスならともかく
日常の生活の中でどこまでその人のためだけに・・・
見返りを期待しないでできるかと聞かれたら私自身疑問です
しかし私が今まで出会った方々の多くが人のために足を運ぶことに
面倒くささを感じさせないフットワークが軽い方が多かった気がします
今、私は自分の足を見るたびにこの足を使い切ろうと思っています
そしてそれが私のために足を運んでくださった方々への恩返しと考えています
そんなこと思っていたら・・・
11月22日の講演会にはオーストラリアから友人が来てくれることに・・・
また、電話でちょっとの相談のつもりが広島と山形から
そのためだけに心友の二人が私の家まで来てくれたり
感謝でいっぱいです
だからこそ、身近な家族のためにフットワークを一番軽くしようと思いました
なんていうタイミング
リビングから「パパ~」って呼ばれました
行ってきま~す!!
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