怒らないから言ってみて
「命の授業」の腰塚勇人です
このごろよく耳にする言葉があります
それは
「怒らないから言ってみて」
私自身がこの言葉にアンテナが立っていることに気づいた時感じたことは
そういえば久しくこの言葉使っていないかも・・・
もしかしたら自分の中では死語になり始めている気がしました
当然耳にするのは教育現場
その状況は誰もがすぐに想像できてしまいます
「怒らないから言ってみて」=「正直に話してごらん」
だれのために言っているんだろう?
もしかしてこの言葉を言うことで
自分の感情をコントロールしようとしているのかも
だとすればそれはそれで最悪な結末は回避できるかもしれないと
でも顔は怒っているじゃん・・・
怒らないって言いながら怒っているのを子どもは感じている
だから子どもは「恐る・恐る」小さな声で答えます
これ以上怒られたくないから
自分が悪いと感じているから
正直に言ってほしい
自分が悪いと思ったら「ごめんない」って自分から言ってほしい
でもそれが言えない
悪いとわかっていても知れたら怒られるのは嫌だから
だから嘘でごまかそうとする
本当はどうしたいのだろう
どうあってほしいのだろう
私は怒る前に最後のセリフを心の中で言ってから
失敗をした子どもたちと向き合います
「正直に言ってくれて嬉しかったよ」
「失敗は次に生かせばいいんだよ」
「君ならそれができるよ」
最後のセリフを決めておくと
自然とそのような状況をつくろうとするようです
自分自身の顔の表情が違うのが分かります
そしてそう言えた時、最後は子どもも私も
失敗して怒り、怒られる状況なのにお互いに笑顔でいられます
そんなことに気づけてから
怒鳴ることも、感情的になることもなくなりました
自分がどんな怒られ方をされたいか
怒る側の目的は・・・
正しいか正しくないかは分かりません
でも終わった時に「怒られたことだけが残っている」ことだけは避けたいです
毎日がいい勉強です
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