11月22日のちょうど1年前
「命の授業」の腰塚勇人です
ちょうど1年前、私のメンターからのお誘いで
妻と二人でジョイント講演をさせていただきました
話をいただき妻に「講演一緒にやる?」と聞いたら
妻もその私のメンターのことは信頼していて
その方の依頼ならということもあって
「30分の1回だけなら・・・」ということで
一緒に講演をすることになりました
一生に一度かも???
実は半分、講演受けないだろうと・・・と思っていたので
ちょっとびっくり
というか私がちょっと焦りモードに・・・
「彼女は一体何を話すんだろう???」と
心配になってきてしまいました(苦笑)
なので無意識のうちに先手を打っている自分がいました
「原稿作るなら手伝うよ・・・」
すると妻は・・・
「一人で考えるからいい・・・」
私は「・・・」
「当日まで彼女が何を話すのか分からないジャン・・・」
「何か爆弾発言でもされたら・・・」
何も後ろめたいことはない(はずな)のに心配になっていた私がいました
当日は11月22日
イイ夫婦の日
「命の授業」夫婦二人三脚編でした
私の話が1時間ほどで終わり休憩をはさみ妻が紹介され登壇・・・
おそらく妻のドキドキとは違った意味での
私のドキドキが始まった瞬間でした
どんなこと話すんだろう・・・
興味と心配がごちゃ混ぜになり、でも耳はダンボに
最初は私がけがをした時の彼女の驚きと恐怖
そしてこれから私と一緒の人生を歩むことへの不安を
正直にありのまま話してくれました
そしてやはり彼女の心の支えとなってくれた
長野の病院の医療スタッフの皆さんと
同室で入院していた時一緒に励まし合った患者さんと
そのご家族への感謝の気持ちを伝えてくれました
そして最後に・・・
彼女は「やっぱり見てるんだな~」って感じたことを話してくれました
それは私も講演会ではまだ話をしていない・・・
障がいのある身体になってしまってから現場復帰での現実の辛さ・・・
実は入院中よりも本当は辛かったんです
過去の何でもできていた自分に振り回されて・・・
考えたくなくても現実は
正直できないものだらけと直視しなければらない毎日・・・
その辛さから本当に逃げたくなる毎日でした
仕事に行き、教壇に立つも毎日のように
人が見ていないところで悔し涙を流していました
妻はそれを分かっていたようです
最後に妻がこう言いました
「彼は責任感が人一倍強い人なんです」
「実は彼はケガをする前と比べて
できないことだらけになり未だに苦しんでいるんです」
「でも、その姿を決して人の前では見せません」
「だから私は彼が何か新しくチャレンジしたいということは
反対せずに応援しようと決めています・・・」
こんなことを言ってくれました
本当に嬉しくなりました
それまでも今があるのは妻のおかげだと心から思っていました
しかしその気持ちをどれだけ態度に見せていたかは・・・ですが
(自分なりには頑張っていたつもりですが・・・)
その時の原稿は大切にとってあります
あれから1年が経ちました
彼女に応援されて22年間の教員も卒業してしまいました
本当のところ辞めると決めてからの方がお互いビクビクでした
でも今、心から「あの時決断をして良かったって」思えている二人がいます
1年前このような機会を下さったメンターには心から感謝です
母子家庭になっている時間が多くなり始めているけど
よろしく頼みます
俺もできる限りのことはするから
いつもありがとう
今日は地元平塚の中原中学校で講演です
そして明日は東京目黒パーシモンホールで講演です
感謝を込めて
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