久しぶりの雨に当たり前を考える
昨日は久しぶりの雨でした
一昨日の午後、山梨県の高校様の講演へ
車で向かうとき土曜日ということもあり
高速道路は大渋滞
目指すインターまで裏道を走っている途中
我が家の水道水にもなっている
水がめのダムを通ると
!!!
ダムの水が半分くらいになっていて
こんなに減っている・・・
雨降ってないもんなぁ~
そして講演の中でも
感謝の反対の言葉は「当たり前」
「この会場で皆さんと私にとって
一番大切なものは何ですか?」と質問しました
「答えは空気です、酸素です」
なぁ~んだという顔もあれば
なるほどねぇ~っていう顔もあり
この時も自分で話をしながら
ダムの水のことを思い出していました
当たり前は失なったり、失いかけた時に
そのありがたさに気づくことが多く
それでは遅いことも度々
水不足になるかは分かりません
でも自分で雨を降らすこともできません
でも今、自分にできることもあります
水だけでなく
当たり前を大切にする、無駄にしない生き方
s=”p1″ style=”text-align: start; margin: 0px; line-height: normal;”>なくなってからありがたかった・・・もっとこうしておけば良かった・・・ではなく
今、あってくれて、いてくれて
支えてくれて、助けてくれて、生かしてくれて
ありがとう
そんな感謝の気持ちを
当たり前と思っているものにこそ
意識を向けたいものです
蛇口から当たり前のように出る水
今は使いたいだけ、使いたいときに使える水
本当にありがいことです
文句、不平不満の根源は
やってもらって当たり前
あって当たり前の
依存だと言われます
そして感謝は痛みを伴うときに気づくものとも
ピンチな時
依存している人は不平不満を口にし
自立している人は対策を口にする
少しでも、不平不満、文句、悪口を言わない生き方を
したいものです
そのための私の実践は
当たり前への感謝から
そして自分でできることは自分で
今日もその意識の中で命を喜ばせ使いたいものです
命も当たり前ではないから
素敵な一日になります
感謝をこめて