私を24歳で生んでくれた母
昭和16年、西暦1941年生まれ
この年の12月に、日本軍は真珠湾攻撃をし
東=アメリカに向かわず
アジア戦略を続けていれば
もしかして・・・山本五十六長官・・・
山形に疎開をしていたようですが
戦争、終戦、復興という
厳しい時代に産まれ、生き抜いてきた母
戦争を体験したことのない私には
考えられない、リスクだらけの中で
◯◯のためにという、ある意味
自己犠牲と我慢を生きる力の源としていた
時代でもあったせいか
私が生まれたあとも
「お母さん、あなたたちのために頑張るから」
が口ぐせで
子どもながらに、母親を痛く、苦しく
重荷に感じることもあり
頑張ることは、肉体労働だけなのか・・・とも
しかし、母にしてみれば
それが自分の勲章であり、生きてきた証
今も、子どもに迷惑をかけないように生き
特養にいる父親を、どうしたら家に戻せるか
考えている母
自分の老化と折り合いをつけ
毎日を生きるので精一杯なのは
自分が一番分かっているんです
でも何かに頑張っていないと・・・
それが母の生き方
だったら、いつも頑張ってくれて
家族を想ってくれてありがとう
これでOKですし
「そーなんだ」「そう考えているんだ」と言って
私も聞き流すこともたくさん😅
母にいい人生だった・・・と
少しでも思ってもらと
今できることを考える日々です
それにしても、父も母も元気で丈夫
生命力は半端ないです
私も受け継いでいるかも・・・😅
まずは孫の成人式と
父の90歳、私の60歳まで頑張るそうです
頑張れ、お袋‼️
まだまだ大丈夫😃
誕生日、おめでとう㊗️