温心不通にはならない
昨日の父母のブログに
たくさんのコメントをありがとうございます
両親に育ててもらって感謝をしながらも
子どものころから大人になるまで
そして自分が家庭をもって
親の生きざまから
「なんで?!」という問をたくさんもらいました
そして自分なりに自問自答して
俺はこうはならない
俺はこうは言わない・やらない
「なりたくない」大人像・親像をつくってきましたし
同時に親の「こんなところが好き・スゴイ」
だってあります
子どもたちに
「どんな大人になりたい?」って訊くと
黙ってしまいますけど
「どんな大人になりたくない?」って訊くと
すぐに答えますよ(笑)
それだけ子どもたちは
親や大人、先生をよく見ているということ・・・
人生経験の少なかった私の中での「なんで?」は
今振り返ってみると
したくてもできなかった、してあげれなかった親の
事情があることもいっぱいでした
その状況・環境の中で家族を守ることに
精一杯頑張ってくれていたことを
今になれば理解できることも
感謝もいっぱいです
子どものころから親に対して・先生に対して
「なんで?」スイッチが入る時は
その言動に「心」・「思いやり」・「温かさ」を
感じなかった時のような気がします
(私の感性というか基準ですけどね)
相手の立場、置かれている状況を考えない
自分の正は、相手の間違い
白か黒 〇か✖️ 良いか悪いの二者選択に
苦しさや辛さ、冷たさ、乱暴さを
感じていたのかもしれません
生きる中で厳しさは自分に時には人にも
必要だと思っています
でもそこには心ある、温かさを感じる
対応、言動ではありたいものです
そうでなければ、伝わらないし通じないから
近くにいても・離れていても
温心不通にならない生き方・幸動を
心がけたいものです
そして恩心も忘れはいけませんね
特に父母にはそんな気持ちが強いです
色々感じ・学ばせてくれてありがとう・・・
人を助けられなくても
人を傷つけない生き方はできますね
今日は静岡県浜松市の中学校1・2年生の
立志式で命の授業です
久しぶりの立志式での講演
今からワクワクです
このコロナ禍であっても
開催してくださった先生方の想い、真心を
生徒さんたちにしっかりお伝えします
そしてこんな本気になってくれる
大人たちが君たちの周りにはいてくれる!!って
温心は真心であり
真ん中にある心って愛のことですね
今日も楽しく一笑健命、命を喜ばせます
感謝を込めて