丸二年がたち ~離れから聞こえる笑い声~
父が脳梗塞で倒れリハビリ病院を退院して
同居をするようなってちょうど丸二年がたちました
病院を退院する前の数ヶ月間は
父の住む場所をどうするか?からはじまり
同居をすると決まってからの敷地内に
バリアフリーの平屋を建てる段取りと平行して
ケアマネージャーさん、通所、デイサービス等の
福祉関係の受け入れ先と決定、手続きで
今になってしまえば笑い話になりますが
その時は本当に必死でバタバタでした
いつかは父母の介護を考えする時期が・・・
とは思ってはいたもののそれが突然
それも寝たきりの要介護5かも知れない・・・
介護する側の生活が一変することを体験しました
と同時に福祉関係はおそらく何とかなるだろう・・・と思いきや
父の退院後のことをケアマネージャーさんと話しをして
家族側のニーズを伝えてそのあと対応してもらっても
一番よく聴いた言葉が「空きがない」「満員です」
無知と福祉の現状への甘さを痛感したときでした
その後、幸いにしてニーズに近い受け入れ先と対応はしてもらえ
父にとっての一週間のスケジュールや
傷がいに対応した家や設備面のハード的部分は整いましたが
大きく傷がいを残しての帰宅と生活のはじまりは
やる気はあっても自分の思うようにできない
不自由さとやるせなさで一日に大半を過ごさなくてならない現実の父
また、家に帰ってきてくれた喜びもつかの間
夫婦といえでも、お互いの思いとそこでの
したい、して欲しい行動のズレからのストレスで
今まで聴いたことない怒鳴りあいの声が聞こえたことや
母の心身共の疲労のピークも何度かありましたが
今では離れから二人の大きな笑い声が良く聞こえてきます
母の
「この一年はお父さんも、家族も
何事もなく過ごせたことが一番の幸せ」と
丸に年目を迎えた母の素直な気持ちを聞いた気がします
と同時に70を過ぎながらも父の介護によって
前以上にたくましくも優しくもなった母の姿を見た時でもありました
夫婦でお互いに年をとっていくって
こういうものなんだ・・・
と同時に俺はどうだろう・・・逆の立場だったら・・・
色々なこと考えながらも
普通が、健康が一番
改めて当たり前への幸せを感じたときでした
笑う門には福来たる
来年は家族にとって今以上に素敵な年になりそうです
親孝行、したいときには親はなし
この休みに今できることしようと思います
みんなが元気に頑張った2年間でした
感謝をこめて
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