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被災地に再び伺って 2  ~好意のはずが・・・~

被災地に再び伺って 2 ~好意のはずが・・・~



「命の授業」の腰塚勇人です

避難所の責任者の方との話の続きです

悲しいスイカの話をしてくれました


それは避難所の方のことを思いスイカを
数人のグループの方が他県から持ってきてくださったそうです

持参の包丁でスイカをザクザクと切り
お盆の上にのせ避難所の方に振る舞って下さったそうです

「どうですか」「美味しいでしょ!」
「いっぱいありますから、たくさん食べてください」

一人の男性が避難所にいらしたおばあさんにかけた言葉です

何気ない言葉が

そのおばあさんには
スイカの汁が自分の生活域である畳の上に落ちないよう
注意しながら食べていたようです

そして実は歯もあまりなく食べずらいようでした

見かねて責任者の方が
「深いお皿とスプーンを用意してくださると助かるのですが・・・」と
その男性に伝えると

「避難所にお皿とスプーンないんですか?」と

また別の男性は
「切り残し余ったスイカもったいないから後で家族の方と食べて」と

それを言われた方は
「私の家族はみんな津波で流され誰も残っておらん・・・」と

当然、そこででたスイカのかすは・・・


責任者の方は残念がっていました
好意のはずが、どこか「してあげている」に感じられてしまうと・・・

被災者の方は大変だからと大きな優しさで
動いてくださる方はたくさんいます

でも被災者の方は大きな優しさの中に必要な
小さな配慮を実は求めているんです

好意は本当に嬉しいのですが
やっぱり自分がなってはじめて分かる事なのかも知れません・・・

私ももっとスイカを持って来てくださった方と
避難所の方がお互い気持ちよく時間を共有できるような
配慮が足りませんでした・・・と

その言葉を聞いて
「そこまで気を回すことが必要???」と私自身感じてしまいました


行動することは素敵です
でもそれが好意の押しつけであったとしたら
これを受ける方々が受け取るものは
苦しさのなにものでもない気がしました

善意のつもりがいつしか「してやってる」

自分の思うとおりの反応をしてくれない時に
特に起こり現れる感情であるとからこそ

行動する前の何があっても自分の責任の
腹のくくり方は重要かも知れません


私の生き方を振り返っても、苦笑いすることばかりです・・・


良い勉強になりました

感謝をこめて


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