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最初を知る

最初を知る


父の定期検査で朝早く病院へ行って今帰ってきました

昨日は息子が小学校で田植えをしていました
餅米の稲を地域の方とPTAの方と一緒に
田んぼの中に入りどろんこになって植えていました
「汚れた~」「疲れた~」ではなく
「楽しかった」「泥がぬるぬるして足が抜けなかった」
「でも、腰が痛かった」と
帰ってきて話してくれました

私も高校時代、何の授業だった忘れましたが
田植えをして、収穫をしてビニール袋いっぱいに
お米をもらい、家で炊いて食べた思い出があります
自分が作ったお米はやっぱり美味しかったです

秋にできた餅米は
学校でお餅つき大会をして食べるそうです
美味しいだろうなぁ~

今、お金を出せば欲しいものが
何でもその形でリアルタイムに手に入る時代
ある意味「今すぐ」に満足感を求める時代
「自分で作る」「待つこと」ができなくなった時代
ともいわれています

それがどういう原材料で、どういう過程で
どんな人の手やどんな想いで
そしてどんな仕組みで、どれだけ時間をかけてできているかを
考える事をしなくてもイイ
壊れたら、ダメだったら同じものを次のものを買えばいい

それはものに限ったことでなく
人に対しても言える気がします
自分がなぜ今ここに生まれ生きているのか

正直、楽しいことばかりではないにしても
父、母と暮らしたことは私たち家族にとっては
とてもイイ気づきをたくさん与えてもらっています

とりわけ、息子にとっての
おじいちゃん、おばあちゃんの存在は
優しいながらも目の前でやりたくてもできないものと
折り合いをつけ一生懸命に生きている姿に
人としての思いやりを感じるようです
そして老いる、老いていくということを目の当たりにしています

そして、自分の存在が私たち親がいて
私たち親の存在はおじいちゃん、おばあちゃんが
いてのものであることを理解している中での
行動を感じることも度々です

自分の、目の前にあるものの最初を知る
そしてその過程を知る

見せる、知らせる、教える、体験させる
私たち大人も含めできあがったものの中で育ってしまっていると
そこへの意識と説明や体験のための準備が
面倒くさくなることが多々ある気がします

手間暇をかけたものの中にある心と愛情と感謝と楽しさ
それを知るからこそ大切にしたい、大事にしたい
そんな気持ちが生まれるのかも知れません

今の時代だからこそ
最初を知る、過程を知る
それは食にかっぎたことだけではありませんが
何が使われているか本当に分からず口にしている
現状への危惧でもあります

その場だけの生き方から
考える、深める、自らが手間暇を惜しまない生き方
大切な気がします
自分でもその姿を見せつつ
息子にも伝え続けたいものです

今日も素敵な一日になります
感謝をこめて


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