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命の授業

2 隣で 喜んでくれる人 泣いてくれる人  怒ってくれる人 みなさん私の宝物

 病状が安定したとき主治医から神奈川への転院を勧められました。

しかし職場の近くに戻れば仕事や色々な噂が気になると思い、ある程度回復するまで長野にいることにしました。それと教員を15年やってきてそれなりに一生懸命にやってきた自負もあり、このことを知った仲間や友人、教え子が神奈川から見舞に来てくれるかどうか・・・。それによって今までの教師としてのあり方を振り返ってみたいと思う気持ちもありました。神奈川からだと往復で7時間はかかります。

私の病状を気にして見舞を控えてくださった方もいました。退院して声をかけてくれた方もいました。当然そうでない方もいます。すべて私のその方々への普段の接し方が現れたものと思っていました。ただ私は長野まで見舞に来てくださった方々から学んだものは、「そこへ行く」という行為自体が、私に会い喜んでくれようが、泣いてくれようが、怒ってくれようが、私のために大切な時間を使って足を運んでくれたという感謝につきたということです。

私を大切な存在と思ってくれているという実感でした。それから私は自分にとって大切な人がピンチな時は何ができるか分からなくてもすぐに駆けつけようと決めています。隣に来てくれその場の空気を一緒に共有してくれるだけで元気になってしまうんです。勇気が湧いてくるんです。大切にされているって思うんです。頑張ろうって思うんです。
こんな事もありました。一般病棟に移って1週間過ぎから首のコルセットをつけた状態でのベットアップが始まり首への加重が始まりました。(ベットアップとはベットの上半身を少しずつ起こし首に頭の荷重をかけていくこと)15度。30度。45度。90度近くをクリアーできれば車いすに乗れるはこびとなるわけです。

主治医からケガから約3週間でようやくベットから車いすへの許可がおりたときのことです。ベットに座りそこから車椅子へ看護師さんに介助を受け移動。寝たっきりの世界から動ける世界へ・・・。車いすに座れたとたんに涙があふれ出しました。寝たきりという最悪の状態を脱し、人生やり直せると思えた喜びからでした。そのとき隣で妻と看護師さんが一緒に「よかったね~頑張ったね~」と言って一緒に喜び泣いてくれていたことを今でも覚えています。本当に嬉しかったです。あのときの気持ちは一生忘れられません。

 また、右手から気の出るスキーショップの社長さんは神奈川から5回も気を当てに来てくれました。私にそこまでできるかと聞かれたらピンチな時は駆けつけたいと言っておきながらたぶん無理です。

またこんな知り合いのコーチもいました。このケガから4年半が過ぎ右膝を骨折する事故にあい手術をし入院をしていたとき、ご無沙汰していたコーチに手紙を書きました。病院名は書かずに出したのですが、二日後ふらっとそのコーチは「腰塚さ~ん」と言って病院に現れました。すごい人です。そのコーチは私のことを「同士」と言います。なぜならそのコーチも命がなくなるかも知れない病気と闘い今を生きている方で、病気とかケガの話になるととても燃える人です。何せ愛読書が家庭の医学ですから。私は大好きです。




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